本日もじめじめとした湿気を多くふくむ大気のおかげで、なにをしてもからだが重く、そしてだるい。冷房の効いた部屋にいるぶんには問題ないのだけど、ちょっと廊下にでたり外にでたりすると服の下にじっとりと汗がにじみ「ああ、夏はなんて生きづらいんだろう」と弱音をはいてしまう始末(もちろん心の中でひっそりと思うだけですよ)。そんな風に一日をいつもどおり過ごしていたらテレビだったかラジオだったか失念したが、暦のうえではどうやら秋を迎えたらしい。立秋というやつですね。そうかそうか、ついにこのむさ苦しい暑さともオサラバか。おもえば今年の夏は梅雨があけたんだかあけてないんだかわからないくらい、いつのまにか強制的に猛暑の世界に追いやられたような気がする。毎日まいにち滝のように汗をかき、肌は焼け、髪はパサつき、体力を不毛に消耗し、よくわからない花粉症(たぶんイネ科ですね)に苛まれ、そうやって時は流れゆき、いまこうしてようやく「秋」をお迎えすることができたわけだ。やったね。うん、いや……やってない。ぜんぜんまったくもってやってない。それは絵に描いたような、完璧ともいえる「夏」である。草は勢いよく生い茂り、樹木は力強く生命力に満ちあふれ、葉は青々とみずみずしい。燦々とふりそそぐ日の光に照らされた稲は、それはそれは鮮やかな、整然とした緑の一帯と化している。そのような景色を目にすると、僕にはいまいち立秋とやらが理解できない。むかしの人はどのへんに秋のささやかな息吹を見いだしたのだろうか。たとえば日に日にその実を大きくしていく柿だろうか? この日僕が感じとれた秋の微かな足音は、この青々とした柿の実だけだった。広大な夏の空のもと、僕は密かに実りの秋のことを思った。