毎回スタバで朝食もありきたりすぎるのでこの日は気分を変えてタリーズへ行くことにした。といってもあまり腹が減っておらずコーヒーを一杯だけ注文する。それならばとサイズをトールに引きあげた。トールサイズのマグカップはけっこうずっしりしていて持ち手も分厚く安定感に満ちていた。そうか、サイズを上げると量だけではなくマグカップ自体も変わるのかと当たりまえのことに気づく。じゃあさらに上のサイズにすればもっと分厚くて頑丈なマグカップがでてくるのかと想像すると、ちょっぴり見てみたい気持ちに駆られた。ただ朝からそんなにブラックをがぶがぶ飲めるのか、いささか疑問ではあるが。タリーズのマグカップはとても丈夫だからいつか欲しいと思っているのだけど、この日はコーヒー豆を買い忘れないことに意識を集中しすぎたせいですっかり買いそびれてしまった。なんで丈夫だと言いきれるのかというと、むかしタリーズで休憩しているときに店員さんが僕の目のまえで空のマグカップを地面に落としたから。僕はてっきり割れたと思ったがマグカップは「ゴッ」と鈍い音を響かせただけでほぼ無傷(のように見えた)だった。それ以来タリーズでコーヒーを飲むたびに「これって頑丈なんだよな」とマグカップをじっと見ている。ただ店で使われているものとまったく同じものが売られているかどうかは定かではないが。窓ぎわでゆったりくつろぎながらコーヒーを飲んでいると心が安らぐ。なにかBGMがかかっていた気がするがジャズだったかクラシックだったか覚えていない。そのくらい空間に溶けこんでいたのだろう。空はうっすらと曇っていて予報どおりたしかに午後から降りだしそうな気配だった。散歩中に雨が降ってくるのもイヤなので少し早めにカフェを切りあげて公園へとむかう。公園に足を踏みいれるとつつじが見頃をむかえていた。赤、オレンジ、ピンク、白、薄紫。同じつつじといえど色とりどりで華やかな気持ちになる。池のそばではフジも満開に咲いていた。気品あふれるその姿には、やはり多くの人が魅了されていて写真を撮っているカメラマンもちらほらいた。つつじとフジの共演を見れただけでも家を出てきたかいがある。ほかにはアヤメもしれっと咲いていた。じめっとした湿地帯にポツポツと紫色の花が咲いていてとてもひかえめな品種だなと思った。あまり日のあたらない場所にあるせいか人も少なく(というか誰もいなかった)静かだったけど、このひっそりした感じが素敵だった。いまはまだ紫のアヤメしか咲いていないが来月には白や黄色のアヤメも咲くだろう。毎年ここを散歩していると(もはや強制定点観測)そろそろこの花が咲くなと予想できるようになってきて楽しい。うまいコーヒーを飲んで初夏のさわやかな公園を散歩し季節の花を愛でる。もう俺の人生はそれだけで十分かもしれない。それ以上なにがある?
夢見たものは・・・・
夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と詩:立原道造